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UNESCO site · Baku

シルヴァンシャー宮殿:バクー旧市街に建つ15世紀の王宮群

Baku · バクー市内中心部 from Baku

By Emin Abdulalimov

シルヴァンシャー宮殿(Şirvanşahlar sarayı)は、アゼルバイジャンの首都バクー(Bakı)の城壁に囲まれた旧市街イチェリシェヘル(İçərişəhər)の、最も高い場所に建つ15世紀のシルヴァン君主の居城です。単独の建物ではなく、三段の台地に分かれた建物群で、上段に居館と八角形のディヴァンハーナ、その下に君主の墓廟と宮廷モスク、いちばん下に発掘された浴場があります。2000年にユネスコ世界遺産「シルヴァンシャー宮殿と乙女の塔のあるバクー城壁都市」として登録された資産の構成要素であり、現在はイチェリシェヘル国立歴史建築保護区が管理する博物館として公開されています。

回廊のアーチ越しに見るシルヴァンシャー宮殿の八角形のディヴァンハーナ。奥にフレームタワーが見える
Photo: Diego Delso, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
Fast facts
Region
Baku
From Baku
バクー市内中心部
Status
UNESCO World Heritage (2000)
Best season
通年。台地を歩くには春と秋が快適です
Time to spend
見学は約1時間30分
Entry
有料です。乙女の塔とは別の入場券で、現地でのお支払いになります。イチェリシェヘル国立歴史建築保護区が料金表を公表しており、宮殿と宝物室を合わせて外国人のおとな24マナト、5歳から17歳のお子様12マナトです(icherisheher.gov.az、2026年7月27日確認)。料金を定めているのは同保護区ですので、お出かけ前に同じページをご確認ください。
Hours
保護区の公表では毎日10時から19時、入場は有料です(icherisheher.gov.az、2026年7月27日確認)。10時から18時とする古い記述もなお流通しておりますので、閉館間際にお訪ねになる場合は入口でお確かめください。
What you see
  • アーチの回廊に囲まれた中庭に単独で建つ、八角形でドームを戴くディヴァンハーナ
  • ヒジュラ暦839年(西暦1435年から1436年)とハリールッラー1世の名を刻む墓廟の門
  • 同じ君主の名でヒジュラ暦845年(西暦1441年から1442年)を刻む宮廷モスクのミナレット
  • ハリールッラー1世に仕えた学者セイイド・ヤフヤー・バクヴィーのドーム墓廟
  • 1585年から1586年のムラト門。この建物群で唯一の16世紀の建造物です
  • 1939年にぶどう畑の下から見つかり、壁の下部を残して整備された浴場跡

この建物は、旅程表では一行で片づけられがちです。バクーの城壁内では乙女の塔に次ぐ二つ目の有料施設で、たいていは「15世紀の宮殿」と紹介されます。ただ、その紹介の仕方には一点、実態と合わないところがあります。ここは一棟の宮殿ではなく、斜面を段状に下りていく六棟から七棟の建物群です。そして、そのうち二棟は建造年を石に刻んで残しています。ここでは、それぞれの建物が何であるか、どの年代が碑文で確定していてどれが推定なのか、そして見学に何が必要かをご説明します。

シルヴァンシャー宮殿とはどのような場所ですか

シルヴァンシャーは、アブシェロン半島の北から西に広がるシルヴァン地方を長く治めた君主です。本拠はシャマフ(Şamaxı)にありましたが、15世紀に首都としてのシャマフが最終的に放棄され、バクーがその位置を引き継ぎました。この建物群は、そのときに城壁都市の最も高い場所に築かれたものです。ユネスコ世界遺産の登録審査を担当したイコモスは、この宮殿を「三段に重なる台地の上に広がる」ものと記述しており、この捉え方がいちばん分かりやすいと思います。

上段の台地には、中庭を囲む2階建ての居館と、ディヴァンハーナがあります。ディヴァンハーナは、アーチの回廊に囲まれた専用の中庭の中央に、基壇の上に単独で建つ八角形の石造建築です。中段には君主の墓廟と、ミナレットを備えた宮廷モスクがあります。さらにその下に浴場があるのですが、その存在は1939年まで知られていませんでした。ぶどう畑の発掘で見つかり、壁の下部を残して整備されたため、いまは建物というより平面図として読む遺構になっています。ハリールッラー1世に仕えた学者セイイド・ヤフヤー・バクヴィーの墓廟は、かつての宮廷墓地の中に建っています。ムラト門はこれらから離れた位置にあります。

宮殿は丘の頂にあります。イコモスが「海からも、市街を囲む高台からも見える」と記しているのはそのためです。旧市街を1時間ほど歩くと、屋根越しにこの建物のドームを何度も見上げることになります。

碑文で確定している年代と、推定の年代

この建物群のうち、年号を刻む碑文が残るのは二棟です。どの二棟なのかを知っておく値打ちがあります。それ以外の建物については、資料によって年代の記述がかなり分かれるからです。

墓廟の門にはヒジュラ暦839年、西暦の1435年から1436年にあたる年が刻まれ、母と子のためにこれを建てたハリールッラー1世の名が記されています。宮廷モスクのミナレットにはヒジュラ暦845年、西暦1441年から1442年が、同じ君主の名で刻まれています。イコモスはモスクを1441年、墓廟を1434年から1435年としており、暦の換算の違いを別にすれば碑文と同じことを述べています。

一方、居館そのものには建造年を記した碑文がまったくありません。ディヴァンハーナにもありません。入口の上に刻まれているのはクルアーンの一節であって、建造の年ではないのです。したがって居館とディヴァンハーナの年代は、様式と、ハリールッラー1世およびその子ファッルフ・ヤサール(1501年に戦死)の治世との関係から推定されています。ディヴァンハーナには彫りが未完成のまま残っている部分があり、同じ1501年のサファヴィー朝による征服が石工の作業に先んじたためとされるのが一般的です。ディヴァンハーナについて特定の年を挙げている記述は、壁から読み取った年ではなく誰かの推定とお考えください。

15世紀に属さない年代を持つのはムラト門です。ヒジュラ暦994年、西暦1585年から1586年にあたる年が、スルタン・ムラトの名とともに刻まれています。この建物群で唯一の16世紀の建造物で、その奥に建てられるはずだった建物は、建てられなかったか、現存していないと考えられています。

墓廟は1945年から1946年にかけて発掘されました。七つの埋葬が確認され、副葬品はアゼルバイジャン歴史博物館に収蔵されています。

世界遺産としての位置づけ

世界遺産の一部です。ここは区別しておく値打ちがあります。ユネスコは2000年に、「シルヴァンシャー宮殿と乙女の塔のあるバクー城壁都市」の名称で、登録基準(iv)によりこの資産を登録しました。資産面積は21.5ヘクタール、緩衝地帯は12ヘクタールで、アゼルバイジャンで最初の世界遺産です。宮殿は資産の名称に含まれていますが、登録されているのは城壁都市全体です。

この資産は2003年から2009年までの6年間、危機遺産リストに記載され、保全作業が世界遺産委員会に認められて解除されました。2007年以降はイチェリシェヘル国立歴史建築保護区が管理を担っており、宮殿を博物館として運営しているのもこの組織です。

なぜ『VIVANT』の行程に入っているのですか

TBS日曜劇場『VIVANT』シーズン2は、2026年7月26日に放送が始まりました。アゼルバイジャンでの撮影は2025年8月から10月末まで、バクー、スムガイト、ギャンジャ、ナヒチェヴァン、シャマフ、ガバラ、シェキ、グバの各地で行われ、撮影許可、輸送、調整はバクー・メディア・センターが担当したと、Report.az が2025年11月15日に報じています。国営通信社アゼルタジも同日に同じ内容を伝えました。この報道が挙げているのは都市と地区の名前であり、その中のどの施設で撮影されたのかは書かれていません。

阪急交通社の行程表はそれよりも踏み込んでおり、6か所を「ロケ地1」から「ロケ地6」として挙げています。シルヴァンシャー宮殿はその6番目です。ただし、この区分は同社によるものです。同社のページには番組とのタイアップである旨の記載がありますが、区分の許諾元は示されておらず、6か所それぞれで何が撮影されたのかも書かれていません。日本語の専門家コラム(佐々木正明、Yahoo!ニュース エキスパート、2026年7月24日)は国内8か所での撮影を伝えてシェキを挙げていますが、この宮殿には触れていません。

ですから、正確に申し上げればこうなります。日本の旅行会社が自社の判断でこの建物をロケ地の一覧に入れており、ここで撮影が行われたと確認した情報源はありません。それでこの建物の値打ちが減るわけではありません。600年にわたって旧市街の中心であり続けてきた建物で、今回の話がなくても1時間30分を充てるだけのものがあります。名前が挙がっている場所の位置関係は、『VIVANT』ロケ地のページにまとめています。

入場と所要時間

宮殿は有料で、乙女の塔とは別の入場券を現地で購入します。開館時間と料金表はいずれも保護区が自社サイトで公表しており、2026年7月27日に確認したところ、開館は毎日10時から19時、料金は宮殿と宝物室を合わせて外国人のおとな24マナト、5歳から17歳のお子様12マナト、地元のおとな7マナトでした。10時から18時とする古い記述もなお流通しており、多くのガイドページの数字はそこに由来します。閉館間際にお訪ねになる場合は、当社を含むブログではなく保護区のページをご確認ください。宮殿の周囲に広がる旧市街(英語)を歩くこと自体は無料です。

三段の台地をすべて回り、ディヴァンハーナ、墓廟、モスクの内部まで見るなら1時間30分ほどみておいてください。上段の中庭と居館だけなら1時間です。台地の構成上、階段と不揃いな石畳が最後まで続きますので、足元に不安のある方がいらっしゃる場合はあらかじめご承知おきください。上段の中庭は7月と8月にはほとんど日陰がありません。

行き方

バクーの中心部ですので、多くの方は旧市街の門から歩いて入り、坂を上ります。イチェリシェヘル駅は城壁の下、旧市街の正門のところにあり、海沿いのサヒル駅からは1駅です。駅からは路地の坂を上ることになります。運賃と乗り方はバクー地下鉄の乗り方にまとめました。車は役に立ちません。城壁の内側の道は狭く、大半が住宅で、駐車も制限されています。

宮殿は当社のアゼルバイジャン6日間文化ツアー(英語)の立ち寄り先の一つで、この行程ではバクーとシャマフ、シェキを北西の街道でつないでいます。

免責事項

当社(Birtour)はTBS及び番組制作委員会とは一切関係がなく、『VIVANT』のパッケージツアーを販売している旅行会社各社とも関係がありません。バクーに拠点を置くアゼルバイジャンの現地手配会社です。このページは宮殿の建物群そのものと、その年代について分かっていることを説明したものです。

Gallery
中庭越しに見るシルヴァンシャー宮殿の居館の高いアーチ門
Photo: Ludvig14, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
バクー旧市街の屋根越しに見るシルヴァンシャー宮殿のドームと彫刻の門。背後にフレームタワーが立つ
Photo: Ludvig14, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
シルヴァンシャー宮殿の下段の台地に並ぶ石造りのアーチ回廊とドーム屋根
Photo: Diego Delso, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
Frequently asked
シルヴァンシャー宮殿とはどのような場所ですか。
シルヴァン地方の君主シルヴァンシャーの15世紀の居城で、バクーの城壁に囲まれた旧市街の最も高い場所に建っています。単独の建物ではなく建物群です。上段の台地に居館と八角形のディヴァンハーナ、その下に君主の墓廟とミナレットを備えた宮廷モスク、さらに宮廷の学者セイイド・ヤフヤー・バクヴィーの墓廟、浴場跡、そして16世紀の門があります。現在はイチェリシェヘル国立歴史建築保護区が管理する博物館です。
ユネスコ世界遺産ですか。
世界遺産の一部です。2000年に「シルヴァンシャー宮殿と乙女の塔のあるバクー城壁都市」の名称で、登録基準(iv)により登録されました。資産の面積は21.5ヘクタール、緩衝地帯は12ヘクタールです。宮殿は資産の名称に含まれていますが、登録されているのは城壁都市全体であり、宮殿単独ではありません。この資産は2003年から2009年まで危機遺産リストに記載されていました。
いつ建てられたのですか。
15世紀、ハリールッラー1世とその子ファッルフ・ヤサール(1501年に戦死)の治世にかけてです。建物群のうち年号を刻む碑文が残るのは二つで、墓廟がヒジュラ暦839年(西暦1435年から1436年)、宮廷モスクのミナレットがヒジュラ暦845年(西暦1441年から1442年)です。居館そのものには建造年を記した碑文がありませんので、居館について特定の年を挙げている記述は推定とお考えください。
『VIVANT』に登場した場所ですか。
そのように公表した情報源はありません。阪急交通社は行程表で6か所を「ロケ地」として挙げており、シルヴァンシャー宮殿はその6番目ですが、この区分は同社によるものであり、6か所それぞれで何が撮影されたのかは書かれていません。アゼルバイジャンの報道機関は2025年11月、撮影がバクーを含む8つの都市・地区で行われたと伝えていますが、個別の施設名は挙げていません。当社(Birtour)は、バクーの行程の一部としてこの宮殿へのご訪問を手配しております。ガイド、車両、入場券の手配が対象です。
見学にはどのくらいかかりますか。
三段の台地をすべて歩き、ディヴァンハーナ、墓廟、モスクの中まで見るなら1時間30分ほどです。上段の中庭と居館だけなら1時間で回れます。城壁内の散策は無料ですので、宮殿だけを目的にするのではなく、旧市街の見学に組み込むのが現実的です。
ディヴァンハーナとは何ですか。
上段の台地にある、アーチの回廊に囲まれた専用の中庭の中央に、一段高い基壇の上に単独で建つ八角形の石造建築です。側面は尖頭アーチで開いています。用途は定まっておらず、評定の間、法廷、墓廟という説がいずれも唱えられてきました。入口の上の碑文は年号ではなくクルアーンの一節で、装飾の彫りが未完成のまま残っている部分があり、これは1501年のサファヴィー朝による征服によるものとされるのが一般的です。
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